2010年1月
『人間は気高くあれ、情け深くやさしくあれ!
そのことだけが、われらの知っている
一切のものと人間とを区別する。』
− ゲーテ 「神性」(1781年頃の詩より) −
新しい年の幕開けを皆様どのようにお迎えでいらっしゃいましょうか? 東京地方は松の内の7日あたりまでは晴れる予報が出ています。四囲の空気や空も澄んで快く、精神的にも自分をさらに磨こう、と意欲が湧いてきます。
また、雪国の皆様にも自然の厳しさから忍耐と鍛錬を学ばれることでしょう。
さて今月は、若い頃によく読んだゲーテの格言集から心に響くことばをご紹介いたします。新鮮な感性、深い知性、豊かな愛情ある人間的魅力にあふれたゲーテの言葉は、今昔問わず共感し感銘を受けるものです。人間行動の基準というか、プリンシプル(原理原則)があり、人間の品位に関わっているからではないかと思います。
ところで4,5年前に「国家の品格(藤原正彦著)」という本が出版され、世間の耳目を集めました。その後、「品格」という言葉がブームとなり品格本が数々出版されたことは周知の通りです。
品格とは何か?とは、なかなか簡単に言い表せるものではないようです。私自身、「気品の研究」として心理学的測定法でアプローチをした経験がありますが、結論を出すにはかなり無理があったような記憶があります。これが「品格」だ、「気品」だ、と誰もが納得できるものが安易に抽出できるものでもないのでしょう。
しかし、全人類にとって品位のある人間の共通項はあると思うのです。人間としての品がない、品格がない行為をしている人に出会うと、相対的に品格、品位とは何かと感じさせられるものです。品位を身につけるには、逆にそのような行動や精神を鏡として、反面教師として学ぶことが第一歩と思います。
その品位のないひとつとして「物欲しげ」な行動を取る人物のことです。物欲しげな、ということは、まともな手段でなく他人から金品を巻き上げる、さもしい根性である、とエッセイストの木村治美氏も述べられていました。
昨今、国交においても、また市井人のあいだにも、この物欲しげな、ゆすり、たかりの根性を見受けて、目を覆いたくなります。
先述の木村氏は『品格に欠ける人々は、物欲しげであるとき、それを手にするのがフェアでないと充分に承知をしているのではないか。承知はしていても、それを手に入れたいのはプライドに欠けるからであろう。(日本人の品格より)』と述べられていますが、まったくその通りと膝を打つものです。
品格に欠ける、のは人間として自立するというプライドも捨てているのだと思うのです。プライドを捨て一見、ラクをして他人から巻き上げたいのです。
卑近な例で恐縮ですが、女性でも男性でも、相手におごられて当たり前の感覚で、むしろ「やったぁ」とほくそえんでいる人も多いのには驚きます。結婚前の娘を持つ母親なども、相手がいくら稼ぐか、だけが結婚承諾の鍵となっていることなど、本末転倒も甚だしく「お育ち」が悪いと残念に思うのです。
品格というのは「物欲しげ」なペットのように他者依存して短絡思考に生きることではないのです。いかなる条件であれ、自分の及ぶところ精一杯の自助努力するなかでこそ、凛として気高く品位が育まれていくのだと思います。
しかもそうして自ら努力精進して「人事を尽し天命を待つ」ときにこそ、はじめて人の情けや愛を感じられ、大きな安心感のなかで生きられるのです。
精一杯生きてみないと、このゲーテの「人間は気高くあれ、情け深くやさしくあれ!」を真に了解できないと思われるのですがいかがでしょう。(華)
2010年2月
『習慣に早くから配慮した者は、人生の実りも大きい。』
− 日野原重明 (聖路加国際病院) −
節分を迎え、気候も冬と春のせめぎあいか、東京も1日夜から雪となりました。雪で清めて立春を迎えられるのはいかにも慶ばしい、と思う次第です。
さて日野原先生はご周知のとおり、現在99歳で現役、聖路加国際病院の名誉委員長・理事長でもあられお元気に活躍されております。
新老人の会(www.lpc.or.jp)の提唱者であったり、まだ記憶に生々しい、平成7年の地下鉄サリン事件の際、事件後直ちに日野原先生の判断により、聖路加国際病院では当日の全ての外来受診を休診にして、速やかに医師・看護士・スタッフ総動員で被害者を受け容れました。同病院は被害者治療の拠点となり、ラッシュ時に起きた事件犠牲者を最低限に抑えることに繋がりました。医療に携わる者の瞬時判断指令の鑑と思われるものです。
このような一刻を争う判断さえも、やはり多くの良い習慣が身についておられたのではと推察するものです。また逆にメタボリックシンドローム、高血圧、心臓病などの病気もつまるところは「生活習慣病」といわれ、良くない習慣をだらだら続けていることが病気の誘引と言われています。
毎日の生活態度、行動パターン、食べ物、嗜好、心のくせ、など一旦身についてしまうとなかなか変えにくいものです。それが次第に性格や人格を形成していくのです。何を食べ、誰と付き合い、どのように暮らすか、などで本当に差が出てしまうのは明々白々の事実なのはご存知のはずです。
今年は変革の年、自分で変えたい、止めたいというような習慣があれば、ノートにピックアップし、できることから変えていきませんか?
たとえばダラダラ見ていたテレビを止め、良書を友として30分読む、という習慣に変えるだけでも、年間何冊の書物が読めるでしょう。
出勤ぎりぎりまで寝ていたのを、30分早く起きて駅まで歩けば体力、筋力作りに、毎日のアルコールやタバコを3分の1減らせば肝臓や肺への負担軽減と時間とお小遣いの節減に、といったように少しだけ変えていきましょう。
それでも「継続は力なり」5年、10年さらには20年後には、きっと素晴らしい収穫があるはずです。(華)
2010年3月
『人生は一度きりだから 一つの道を一途に生きてゆきたい』
− 坂村 真民(詩人) −
春三月、太陽も明るくなり、いっせいに芽吹きも始まり、じっとしていられなくなる季節です。心身ともに閉じこもりがちになっていたなら思い切って扉を開き「気」を入れ替えましょう。またそれぞれ新しい歩みを始める人たちへ暖かいエールを送りたいと思います。
大宇宙の哲理を解りやすい言葉に換えて生き方を教示してくれる坂村真民さんの詩が大好きです。次の「燈心」「念根」という詩もあれもこれもと煩瑣になりがちな人生の生き方をスカッと筋を通してくれる詩です。
≪燈 心≫
狭くともいい
一すじであれ
どこまでも
掘りさげてゆけ
天の一角を
見つめろ
いじけるな
あるがままに
おのれの道を
素直に
一途に
歩け
≪念 根≫
念は根である
祈りの根がしっかりと
大地に深く広がり
力を持っておれば
花は おのずと
大きく開き
念は必ず成就する
これは天地宇宙の
原理であり
摂理である
お互い
念の根を
しっかりしたものにしてゆこう
自分はどのような人間でありたいのか、どのような生き方をしたいのか、つまり人生の本質にかかわる、自分の花の咲かせ方を考えてみませんか? 自分をあるがまま、長所も短所もすっぽり等身大に受け容れ、そのうえで一途にひとつごとを続けることが良い花を咲かせられるのではないでしょうか? (華)
2010年4月
『自 戒』
− 相田みつお(詩人) −
桜開花も順調に北上し、4月初めの土日は東京近辺では花見客で混雑したようでした。「花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりき」とは作家の林芙美子の言葉ですが、春は花嵐で強風や冷たい雨に見舞われることが多いです。なんとか桜花が長持ちしてくれるのを祈りたいものです。
さて、今月は人間の生き方への示唆を詩にされている相田みつおさんの心に響く詩をご紹介します。
ときにはじっくり自分と向かいあってみましょう。
『自 戒』
つらいことが多いのは
感謝を知らないからだ
苦しいことが多いのは
自分に甘えがあるからだ
悲しいことが多いのは
自分のことしか分からないからだ
心配することが多いのは
今を懸命に生きていないからだ
行き詰まりがおおいのは
自分が裸になれないからだ
(華)
2010年5月
『学ぶ心さえあれば、万物すべてわが師である』
− 松下幸之助 −
青葉若葉に薫風の季節ですがいかがお過ごしでしょうか?ゴールデンウィークに続き、東京地方は快適な天候が続いています。ただ、エルニーニョ現象のせいか4月の冬日やこの五月の夏日の季節の乱れには驚かされますね。
季節の営みは、われわれ日本人にとって人生の指針にもなる重要な現象ですが、環境が激変してきているので我々の健康にも乱れが生じています。
中国に「天人合一思想」があり、自然界に存在する形や生起する現象が、人体のなかにもあり、生起するという考え方です。食物も旬のものを食するのが良い、とされるのは四季の食物が季節にあわせた薬効があるのです。
健康管理には季節の旬の食べ物をと、留意したいものです。
さて、今月のこころに響くことばは、松下産業創業者の松下幸之助翁のことば、以下全文をご紹介いたします。
『学ぶ心』
学ぶ心さえあれば
万物すべてこれわが師である。
語らぬ石、流れる雲
つまりはこの広い宇宙、
この人間の長い歴史、
どんなに小さいことにでも
どんなに古いことにでも
宇宙の摂理、
自然の理法がひそかに
脈づいているのである。
そしてまた
人間の尊い知恵と体験が
にじんでいるのである。
これらのすべてに学びたい。
(華)
2010年6月
『人事を尽くして天命に従う』
− 松下幸之助翁の叙述から −
今年ももう6月、梅雨の時期が到来しました。6日は「芒種(ぼうしゅ)」といって稲のような芒(のぎ)のある穀物の種まきの時期でもあります。
さて、年初に定めた自己の年度目標は達成できているでしょうか?前半までにかなり進んでいる人はかなり着実な計画と実行だったといえましょう。
とてもおぼつかない、という人も今年の後半の目標を絞りなおして前半の結果を検討しつつ、一歩でも前進を試み、人事を尽くしていきましょう。
今月も松下産業創業者の松下幸之助氏の叙述から感銘を受けた言葉を以下にご紹介いたします。
「人事を尽くして天命を待つ」
出典:『読史管見(とくしかんけん)』宋代の儒書で、胡寅(こいん)著のなかに「盡人事待天命・盡人事而待天命」が表記されています。
この言葉に対し、松下幸之助氏は次のように述べられています。
『人間の運命というものは、ほんとうに分からないものである。だから、いかなる場合も悲観してはならない。志を失ってはならない。人事を尽くして天命に従う。素直な心で、天命に従って生きることで、自らの運命も開けてくるのではないか。』と。
この叙述には本当に含蓄のあることばだと思います。今日の味方が明日の敵、といったりすることがありますが、昨今の政治の動向をみていても然りで、ご承知のように物事や事象は良くも悪くもいつも変転万化していくのですね。
眼先に生じている現象に右往左往するのではなく、素直に天命に従って、人間が為すべき道に進んでいれば、おのずと道は開かれるものだと述べられているのです。天は自ら助くる者を助く、という言葉もあります。
もし仮にいま、絶望するような時であったとしても、諦めたり、投げ出したりしてはならないのです。一生懸命に「的」を得た努力、また「何が重要なのかを念頭において」続けていれば、必ずまた運が循環してくるものです。
現代の超スピード時代に、我々はじっくりと物事を考えたり、忍耐することの機会を失っています。日常の忍耐努力をして、機会が熟すのを待つことが必要と思われるのですがいかがでしょうか? (華)
2010年7月
『学びつづける「青春」』
− 水谷 修 (作家) −
七夕が近くなり、夜空では「夏の大三角」が美しく見られることを祈りたいものです。二十四節気では7日から「小暑」に入り、陽足は徐々に短くなってきますが、ますます暑さが本格的になりますので健康管理にご留意ください。
ところで去る3日、読売夕刊に作家、水谷修氏の<学び続けるという「青春」>という読書エッセイが掲載されました。書籍名は「無知の涙」永山則夫、死刑囚の著作です。
『永山氏は5才で親に捨てられ、北の果ての網走で極貧生活を送り、19歳のとき在日米軍住宅から拳銃を盗み、4人を殺害したのです。逮捕され29歳の死刑判決後からの数年間、ただひたすら読書と思索を続けてまとめた手記です。る。大きな罪を犯し、独房の限界状況のなかで学び、叫び、泣く・・・。「もし、自分が無知でなかったら!」と。
彼はまさに一生を「青春」として生きました。苦しいから、辛いから、悩んでいるからこそ、ただ、ひたすら学び続けることの大切さを伝えるのです。
そして永山則夫は48歳で処刑執行されました。』
そして水谷氏はこの著作を読んで、さらに自分も生涯、学び続けたい、と結んでいらした。
思春期から青春前期というのはいわゆる「疾風怒涛」の激動時代です。希望と不安の混沌としたなかに生きています。だからこそ人生の「学び」が必要なのですが、これを読みながら、青春期にかぎらず一生、青春したい・・・つまり「人生を学び続けたい!」と思わされました。
「学び」とは知識・技術習得のみにあらず、人間存在、人生の意義、自分のありようが人間関係の中で観えてきます。学びは多く、そして深い・・・。人生での学びとはつまり「自己究明・自己探求」とよく言われます。が、なるほどと共鳴するものです。
併せて想起したのが”Samuel Ullman”の「YOUTH」という詩。
“Youth is not a time of life; it is a state of mind; ・・・
長い詩なので英文は省略しますが、以下、岡田義夫氏の和訳をご紹介します。
「青春 とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相をいうのだ。
優れた創造力、たくましき意志、炎ゆる情熱、・・・・(中略)
こういう様相を青春というのだ。
年を重ねただけでは人は老いない。・・・・(以下省略) 」
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
人は信念とともに若く、疑惑とともに老いる。
人は自信とともに若く、恐怖とともに老いる。
希望ある限り若く、失望とともに老い朽ちる。
(詳しくは こちらをごらんください。) (華)
2010年8月
『信念はすべてを可能にする魔力である』
− 謝 世輝 (作家) −
今夏は猛暑が続き、熱帯夜に疲れた身体が微かでも涼風が吹くと「涼しさ」が快いものです。7日は暦のうえでは「立秋」となりますが日中の夏日は衰えをしりません。熱中症などにかからないように体調管理にはご留意ください。
ところで表題の『 信念はすべてを可能にする魔力である 』の言葉は、昭和57年に出版された「信念の魔術」という当時、東海大学教授であった謝世輝氏の著作、ポケット実用書です。内容は今も新鮮で驚くことばかりで、脈々と生き続けています。
著書の中で謝氏は、「信念は、常識では不可能と思われることを可能に転化させる不思議な魔力をもっている」と述べ、氏自身が最悪の条件下で奇跡的な実現をしたのはなぜか?について語られています。
「不可能を可能にする信念」を強めるために、次の三つの事を留意されたそうです。
一つ目は「悪条件の幸せ」です。多くの人は諸々の悪条件を嘆きます。しかし、裏を返せばそれらの悪条件が実は多くの可能性を与えているのです。実はその一切の災いのなかにこそ幸せへの芽が潜んでいるのです。
二つ目は「コンプレックスをなくすこと」です。たとえば落ちこぼれだったからこそ、つまり自分の個性を貫き世界一になれた、などという話は数多いものです。コンプレックスに苦しみ悩んでいる人は、逆にそれをパワーとして活用したいものです。
三つ目は、「与える(尽くす・愛する・献じる・奉じる)ことの重要性」についてです。与えることの幸せもさることながら、与えることによって自己が大きく飛躍するという、近代合理主義に反する”見えざる真理”があるのです。
さらに重要な点は「なぜ、多くの人が想念しても願望が達成できないのか?」を種々の要因を三つ挙げられています。
一つ目は「本当にうまくいくだろうか?」と懐疑的だったり、「秋にはいつもゼンソクがひどくなるんだ・・・」とか潜在意識に恐怖心が有る場合です。
二つ目は「怒り」「憎しみ」「妬み」の心です。自分の心はおろか、宇宙の心に悪い種を蒔いてしまうのです。怒りや憎しみは自分の身体にも悪い影響を及ぼします。その感情は生理的に体内に毒素を造りだし、身体を害するのです。病気の治癒も不可能にします。
三つ目は「感謝が足りないことと、不平がおおいこと」です。「有り難い」と思う心は宇宙の心に良い種を蒔きます。
アデイントンが「どんな些少なことでも享受している恩恵は、感謝するにはあまりにも小さいということはないのである」「あなたに神癒が現れるのが遅くて待ち遠しい時は、まず”でに癒されました。ありがとうございます”と感謝してごらんなさい。」と。
May there be enough clouds in your life to make a beautiful sunset.
日没のとき、雲が多ければ夕焼けは美しく見えます。もし、雲がなければ日没はそれほど美しくは見えません。同様に、安楽・単調をもとめた人生は何ともつまらないことだと老年になって感じるでしょう。多くの障害と闘ってこそ、のちに人生が有意義であったことを実感し、感謝できるでしょう。 (華)
2010年9月
『目標をらくらく実現しよう』
今月8日には暦では「白露」です。秋も本格的になり草や葉に白く露が見えるようになるころ、といわれています。しかし、日本では33度以上の猛暑日が続き、秋の気配はまだまだ先の感があります。熱中症で300余名の方が亡くなられたり、この異常気象はどこまで続くのでしょうか。
さて先日、とあるメルマガで偶然、面白い記事を見ました。出所を失念してしまったのですが、私の経験上でも納得し、内容がとても良いと思いましたのでお伝えしたいと思います。
「目標をらくらく実現する」ためには・・・
まずは「自分だけでなく周りが幸せになるような願いを持つ」ことなのです。例えば・・・
「良い結婚したいな!」だけでなく
「明るい家庭を築いて、周りの人を幸せな気持ちにしてあげたい」の願いをもったり
「お金持ちになりたい!」でとどまらず
「これまでお世話になった人にお礼や御馳走をしたい!」
「車が欲しい!」だけにとどまらず
「おばあちゃんの介護の手伝いをしたい」というように
なにか自分の周りにいる人のために役立つ目標を持つことで
周りからの応援ももらえやすく、夢を実現化させやすくなるのです。
ポイントは
「恩返しを目標にすること!」です。
「今、私が生きている」ということはこれまでにたくさんの「恩」を受けているのです。
この世に生まれて、それがたとえひどい環境で育ったにしても
あなたにご飯を食べさせてくれた親や、そのほかにいろいろと
手を差し伸べてくれた人がいたからこそ、あなたの存在があるのです。
つまり、恩(親、師、地など)を受けていない人はいないですよね。
「お世話になったあの人に恩返ししたい。そのために・・・」
というふうに、目標を立て直してみてください。
病気が早く快癒する患者さんは、治療してくれる医者やスタッフの人の
ためにも早く良くなって喜ばせよう、と考えるそうです。
恩返しを目標に、まず自身が「人を喜ばせたり、幸せな思いにしてあげたい」と心豊かになる必要があります。不思議に目標がらくらく実現です。
ぜひお試しください。 (華)
2010年10月
『人は心構えを変えることによって、 なりたい人間になれるということである』
−ウィリアム・ジェームス(哲学者・心理学者)−
今年は9月末まで厳しい猛暑が続いた異常気象でしたが、10月に入ってやっと秋らしい爽やかさが訪れてきました。暦では8日はもう「寒露」節となり、朝夕は肌にやや寒気を感じ始める候、となって参ります。どうかご自身の健康管理にご留意ください。
ところでウイリアム・ジェームスは、1907年に『プラグマティズム』を刊行した、19世紀後半のアメリカを代表する哲学者であり心理学者です。この実用主義派には実践教育論で日本にも影響を与えたデューイなどがいます。
そのプラグマティズムとは、ギリシャ語のプラグマから発した言葉ですが、行動を人生の中心に据え、思考、観念、信念は行動を指導すると同時に、その反対に行動を通して改造されるものである、という考え方をしています。
さて、多くの人たちは人生をより良く変化させようとして、まず知識やノウハウ、スキル、新情報などを手に入れたいと思うのではないでしょうか?
確かに、新しい知識やノウハウ、スキルなどを学ぶ事もとても有効ですし、たいへん重要だと思います。
しかし、大きな自己変革や自己成長をするには、実は自分自身の考え方、ものの見方や心構えを変えることが肝要になってきます。
この内的な自己変化は、どのようにして起こるのでしょうか?
それは知識やノウハウ、スキルなどを学んだだけではなかなか身に付かないことは誰しも経験がお有りではないでしょうか?
また真の意味で、気づきや理解を深めたりすることは難しいことでしょう。
ではどうすれば良いのでしょうか?
それは行動や体験をすることにより、経験知を得ることです。
この行動や経験・体験によって得られる気づきや感動は、より深く記憶や魂に刻み込まれ、潜在意識にも深く刻まれるのです。
思考、観念、信念などの心構え次第で、実際に行動することにより、自身の殻を破り、さらに器が大きくなります。
またその思考、観念、信念などが変化成長したり、強化されたりして、さらに行動が喚起されることとなります。
基本的に人は誰でも大器になれる素質をもっています。同じ知識、ノウハウ、スキルでも、経験知によりさらなるシナジー効果を発し、なりたい人間に変わっていけることは間違いないようです。(華)
2010年11月
『不可能なこととは、私たちがまだ学んでいないことに過ぎない』
−チャールズ・チェストナット(米作家)−
先月は秋らしい爽やかさの少ない曇天の多い10月でした。そしてもう霜月。朝夕の冷え込みも一段と厳しくなりました。インフルエンザも流行の兆しをみせています。どうかご自身の健康管理にご留意ください。
今月は行動するときに湧いてくる「失敗したらどうしよう」とか「ひどい苦労が伴うのでは・・」「危険だ!」という不安感・恐怖感について乗り越えるために考えたいと思います。
我々はともすれば未知のものごとや、自分の理解を超えるものに対して、
「そんなことは無理!」とか「そんなことをできるはずがない!」
と思いがちです。
しかし、「無理だ!」「できない!」というのは、その人の思いや意見に過ぎず、真実とは異なるのだと考えを改める必要があります。
真実は、「私はまだそれを知らない」「やりかたが今は分からない」ということに過ぎないのです。
どんなに不可能に感じられることでも、やったことがある人から見れば、それは可能であり、もしかしたら思っている以上に簡単かもしれません。
それにもかかわらず、「無理だ!」「できない!」と思ってしまうと、夢実現の可能性からは当然、遠ざかってしまうのです。
何かにチャレンジするときに、周りからも「危険だ」「無謀だ」とか言われ、自分自身の恐怖心からも怯えてしまいがちで決断も行動もできません。
しかし、それは単に、まだ経験していない、今はやり方がわからない、まだ自分はそれを学んでいない、ということを言っているにしか過ぎないのです。
必要なのは、その夢を実現する方法を知っている人を探し出し、その人から教わったり、あるいは誰も実現した事のない夢であれば、不可能と思える夢を実際に実現した人々に学ぶ事が必要でしょう。
夢を実現、願望を実現させたいなら、学ぶためにまず第一歩、行動を起こしましょう! (華)
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